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水沢まで来て泊り、太平洋岸の大船渡へ行くバスで姥石峠まで来て、種山ヶ原へ来た。そこはあのラルゴの歌どほり雲が湧き、五輪峠へ、尾根を辿つて行かうとすると、雲に持つて行かれさうだつた。「雨中謝辞」の中の「種山ヶ原」といふ二百十行の長い詩も、私の好きな詩の一つであるが、その詩の中にある残丘(モナドノツクス)、「アルペン農の夏のウヰーゼのいちばん終りの露岩」がそのとほりにあり、頂上からは、雲のきれ目にイーハトーヴ県の、深い起伏が見える。
私は、賢治のやうにではなく、ヤマハウコ、ウメバチサウ、シラネセンキュウ、シオガマギク、タフバナなどの名を手帳に書いた。それから、「流れによるほど草もふまれ、楊の皮もむしられている」馬の水のみ場で、私は腹這ひになつて水を飲んだ。
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こんな旅をしながら、賢治の詩のことも考へたが、少くも「小岩井農場」や「種山ヶ原」のやうなものは、彼のレンズを持つて、忠実に映しとつた天然色映画だと言へさうに思ふ。「心象スケッチ」といふその意味は、簡単に考へられないものではあるが、その心象は、彼の中にあるのではなく、外の風景自身であつて、雨や霧が降つているやうな時でも、手帳の青い罫が流れるやうであつても、彼は、歩きながら、詩による優れたスケッチをして行つたにちがいない。
それは、そんなに面倒なプロセスを経て生れて来るものではなく、歩調にあはせ、時には腐植土のやうにふかふかと、時には黒紛岩(メラファイヤー)のやうにごつごつとして、歩いている限り生れて来るのだらう。 |