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下北と津軽
一 下北の四季
ようやく本州への便船があって、真澄は在島四年の蝦夷地北海道を立ち去った。寛政四年十月初旬だった。
航路は下北半島へとった。ふりかえる海上には函館の山がちかちかと見え、恵山岬の美しい姿もみえる。それがやや遠くなる頃には、前方に下北半島の大間崎が近づき、浜辺の人家に陽の当たっている暢びやかな風景がひらけてくる。この海路は潮流も穏やかな日が多い。今のこのあたりの人人は函館を隣の町のように感じて往復している。青森市へ出るよりもずっと近い。本州のさい果ての地と言われているが、むしろ北海道へむかって開かれた地点である。
真澄の上陸したのは奥戸(おこつべ)という港で、当時はかなり栄えた船着き場だったようだ。その磯辺の家に一夜をすごした彼は次の日からこの付近の牧を尋ね歩いている。道奥の牧と、そこで成長する馬について彼は故郷を出る以前から関心があって、折あるごとに人に訊ねたり心覚えを書きとめたりしている。歌枕に多く詠まれてもいるが、奥州産の駿馬と中世以降の文化との関連に興味があったようだ。蝦夷地に次いで下北へ上陸したのは、その長く持ち越した課題を追うためだとおもわれる。 |